小さな言葉の変化に、成長とちょっぴりの切なさを感じた日

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最近、長男の言葉遣いにちょっとした変化が見られるようになってきました。

「やばい」とか、「くっさ」とか。
ほんの少し前まで、「パパ〜おいで〜」「ママ、だっこ〜」と、あどけない声で甘えていた彼から、急にそんな“ギャル語”みたいな言葉が飛び出すと、ちょっとした衝撃を受けるんです。

もちろん、今の時代を生きる子どもたちにとって、「やばい」とか「うざい」とかって、必ずしもネガティブな意味じゃないし、むしろ「やばい=すごい!」みたいに使われるのが当たり前だったりもする。でも、親としてはどうしても、その言葉の“音”に敏感になってしまうんですよね。

心のどこかで、「ああ、またひとつ“赤ちゃんじゃなくなった”んだな」って、静かに寂しさがじわっとにじんできて。

おそらく、YouTubeの影響もあるんだと思います。
最近、車系の動画やゲーム実況をよく観ている長男。そこに登場するお兄さんたちがテンション高く「やっば!」「くっさww」と笑っているのを、無邪気に真似しているだけなんだと思う。でも、親の目からすると、その“軽さ”が、ちょっとだけ重たく見えてしまうこともある。

とはいえ、それもまた「成長」なんですよね。

誰しも、どこかで“外の世界”に触れて、自分以外の誰かの言葉に染まっていく。
家の中だけで完結していた世界から、少しずつ、外の空気を吸い込んで、自分の言葉を変化させていく。そのプロセスは、確かに“社会性の芽生え”であって、決して悪いことばかりじゃない。

だから僕たち夫婦も、基本的にはその変化を見守るようにしています。
「言っちゃダメ!」と強く言いすぎるのも、かえって逆効果だったりするし、何より“禁止”ばかりだと、子供の成長の妨げになってしまう気がして。

でも、それでも。

やっぱり、あまりにも下品な言葉や、人を傷つけるような言葉が出てきたときには、僕はちゃんと止めるようにしています。
「それは誰かがイヤな気持ちになるよ」
「そんなこと言われたら、パパもママも悲しいな」って。
なるべく、感情的にならずに、丁寧に、でもしっかりと。

もちろん、長男からすれば、うるさいなって思うこともあるかもしれない。実際に、「やだ!」「別にいいじゃん!」と反抗されることもあります。だけど、ここはきっと、親として譲れないところなんだと思うんです。

言葉って、その人の“心の中”を映すものだから。
だからこそ、言葉を大切にすることは、相手を大切にすることと繋がっていると信じたい。

そして、そんな長男の変化を見ていると、つい、まだ言葉をたくさん話せない長女のことを重ねてしまいます。

「パパ〜」と両手を広げてくれるあの可愛さ。
「んっ!」「うー!」と一生懸命しゃべろうとする姿。
そんな“赤ちゃんの言葉”に、毎日癒されている今だからこそ、「この時期って本当に一瞬なんだな」って、しみじみ思う。

でも、彼女もきっと、数年後には「おい!パパ!」なんて言ってくる日が来るのでしょう。
そして僕はそのとき、また「成長だなぁ」なんて言いながら、こっそり涙ぐんでいるのかもしれません。

子どもたちの“言葉”の変化に一喜一憂する日々。
でもそのひとつひとつが、確かに“今だけの瞬間”であって、“家族の思い出”なんだと思います。

今日はちょっと切なくて、でも心が温かくなる、そんな気持ちをここに書き留めておきたいと思います。

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